地球温暖化問題の論考 コロナ禍後の合理的な対策のあり方 杉山大志 本・書籍
このコロナ禍は、極端な温暖化対策なるものが、深刻な経済影響を伴うことを国民が実感する機会となった。もしも「気候非常事態宣言」の下で「2050年ゼロエミッション」を目指すとなると、コロナ自粛をはるかに上回る経済活動の制限が、十年、二十年と継続的に必要になる。
本当に気候が「非常事態」にあるならば、かかる政策も正当化されるかもしれない。だが科学的知見は、巨額の経済的負担を正当化しない。「気候非常事態宣言」は不適切である。
さてコロナ禍は、温暖化対策を論じる前提も大きく変えた。第3章では、コロナ禍で傷んだ経済からの回復と、温暖化対策のバランスのとり方を論じる。
「コロナ禍からの経済回復は“グリーン回復”とすべきであり、CO2を削減する投資のみを行い、CO2を排出する産業は救済すべきではない」と言う意見が散見されるようになった。だがこれでは経済は悪化する一方で、経済回復に逆行するので不適切である。特に、再エネに偏重することは、最悪の結果を招くことを論じよう。
筆者は地球温暖化のリスクを否定するものでは全くない。「地球温暖化が緩やかに進行しており、CO2がその原因の一部であり、費用対効果に気を付けながら一定の温暖化対策をすべきである」と考えている。
しかしながら、観測データに基づかずに「気候危機」を唱道し、不確かなシミュレーションに基づいて甚大な経済的痛みを国民に強要することには反対する。
コロナ禍は我々に教訓ももたらした。「xx万人が死亡する」といったモデル予測は不確かなものであり、大きく外れた。そして現実には、感染者数や感染経路をモニタリングして、感染対策とバランスをとりつつ経済を再開する、というアプローチが取られている。
温暖化対策において筆者が危惧するのは、不確かなモデル予測に基づいて、経済を破壊してしまうことである。温暖化対策に於いても、コロナ禍同様、モデル予測が不確かである以上、観測データを正確に理解しつつ、経済活動とのバランスをとって策を講じてゆくべきである。
本当に気候が「非常事態」にあるならば、かかる政策も正当化されるかもしれない。だが科学的知見は、巨額の経済的負担を正当化しない。「気候非常事態宣言」は不適切である。
さてコロナ禍は、温暖化対策を論じる前提も大きく変えた。第3章では、コロナ禍で傷んだ経済からの回復と、温暖化対策のバランスのとり方を論じる。
「コロナ禍からの経済回復は“グリーン回復”とすべきであり、CO2を削減する投資のみを行い、CO2を排出する産業は救済すべきではない」と言う意見が散見されるようになった。だがこれでは経済は悪化する一方で、経済回復に逆行するので不適切である。特に、再エネに偏重することは、最悪の結果を招くことを論じよう。
筆者は地球温暖化のリスクを否定するものでは全くない。「地球温暖化が緩やかに進行しており、CO2がその原因の一部であり、費用対効果に気を付けながら一定の温暖化対策をすべきである」と考えている。
しかしながら、観測データに基づかずに「気候危機」を唱道し、不確かなシミュレーションに基づいて甚大な経済的痛みを国民に強要することには反対する。
コロナ禍は我々に教訓ももたらした。「xx万人が死亡する」といったモデル予測は不確かなものであり、大きく外れた。そして現実には、感染者数や感染経路をモニタリングして、感染対策とバランスをとりつつ経済を再開する、というアプローチが取られている。
温暖化対策において筆者が危惧するのは、不確かなモデル予測に基づいて、経済を破壊してしまうことである。温暖化対策に於いても、コロナ禍同様、モデル予測が不確かである以上、観測データを正確に理解しつつ、経済活動とのバランスをとって策を講じてゆくべきである。