内容説明
令和5年5月8日から新型コロナウイルス感染症の感染症法上の位置付けが「5類感染症」になり、保健所の負担は軽減されたものの未だ感染症患者はゼロにはならない。ウイルスは、更なる変異を繰り返し、医療機関での対応はまだまだ終わることはない。保健所が忙しかった理由って何?著者の勤務してきた2カ所の保健所におけるコロナへの全職員体制、舵取り、なすべきだった動きや方向性を改めて振り返る。
目次
序章 筆者の自己紹介を含め、手記作成の動機を綴る
第1章 国内における「新型コロナウイルス感染症」患者の発生から、いわゆる第1波に至るまでの筆者所属B保健所における住民対応体制の整備
第2章 国内第1波の時期における当自治体、B保健所管内での医療体制の整備
第3章 国内第2波の時期、当自治体で初めて経験したクラスター対応の教訓
第4章 国内第3波の時期、国内患者発生から約1年、B保健所管内で初患者の発生及びB保健所管内における医療従事者へのワクチン接種対応準備
第5章 国内第4波の頃、B保健所管内で苦慮したエピソードの紹介
第6章 国内第5波、波として継続する期間が長引く中でのB保健所管内における奮戦
第7章 国内第6波、患者が倍増、自治体全体で体制を強化、B保健所管内における大病院クラスター発生対応など、大きな試練の経過後、筆者はA保健所へ異動に
第8章 国内第7波、患者がさらに倍増へ、保健所全職員による対応準備が、功を奏する流れとなり、患者の管理体制等、厳しい状況の中で乗り切れる方向へ
第9章 国内発生から3年経過、感染症法上2類扱いのまま、患者の全数把握体制の見直し、手記の一応の終了へ
終章 行政薬剤師が今般のコロナ手記を綴った思い、後継者に公衆衛生を司る業務の意義深さや思いを伝え、筆をおく
著者等紹介
はやしまさひろ[ハヤシマサヒロ]
昭和37年、北九州市生まれ。父親の転勤異動に伴い、中学・高校は静岡県、大学時代は埼玉県で過ごす。昭和63年、城西大学大学院薬学研究科修士課程を修了。同年、行政薬剤師として某(都道府県)自治体に奉職。35年間の勤務を経て令和5年3月定年退職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)