内容説明
1960年代初頭、草創期にあった日本のテレビ放送業界から番組が細々と輸出され始めた。それから60年、アニメのみならず、多くのドラマ、バラエティ、ドキュメンタリーが海を渡って行ったが、そこでは期待、挑戦、挫折が繰り返されてきた。日本のテレビ番組の海外展開が辿った波瀾の道のりを、膨大な資料探索、関係者への調査によって初めて体系的に解き明かす、メディア史における第一級の資料にして画期的労作。
目次
第1章 草創期―1960年代(アメリカ製テレビ映画の衝撃;初めて海外で放送されたテレビ番組 ほか)
第2章 停滞期―1970年代(番組国際流通の不均衡;ようやく手が届いたエミー賞 ほか)
第3章 転換期―1980年代(1980年の番組輸出状況;日本の番組のショーウィンドウ ほか)
第4章 成長期―1990年代(戦略的国際ビジネスの始まり;テレビ放送は国境を越えて ほか)
第5章 混迷期―2000年代(海外番販の「失われた10年」;国際競争力の低下 ほか)
第6章 現在―2010年代(違法動画の浸透とネット配信;国策としての放送コンテンツ海外展開 ほか)
著者等紹介
大場吾郎[オオバゴロウ]
佛教大学社会学部教授(映像メディア産業論、コンテンツビジネス論)。慶應義塾大学文学部(社会学専攻)卒業後、日本テレビ放送網株式会社入社。2001年退社後、ミシガン州立大学で修士課程、フロリダ大学で博士課程を修了。京都学園大学人間文化学部専任講師、佛教大学社会学部准教授を経て現職。ニューヨーク大学スターン経営大学院客員研究員(2013〜14年)、放送サービス高度化推進協会番組審議会委員などを務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社内容情報
クールジャパンのずっと前から日本のテレビ番組は海外で流れていた!1960年代初頭、草創期にあった日本のテレビ放送業界から番組が細々と輸出され始めた。それから60年、アニメのみならず、多くのドラマ、バラエティ、ドキュメンタリーが海を渡って行ったが、そこでは期待、挑戦、挫折が繰り返されて来た。日本のテレビ番組の海外展開が辿った波瀾の道のりを、膨大な資料探索、関係者への調査によって初めて体系的に解き明かす、メディア史における第一級の資料にして画期的労作。
【本書に登場するテレビ番組】
風小僧、私は貝になりたい、シャボン玉ホリデー、老人と鷹、隠密剣士、鉄腕アトム、源氏物語、水戸黄門、8時だョ!全員集合、サインはV、仮面ライダー、水滸伝、アルプスの少女ハイジ、Gメン’75、グレンダイザー、赤い疑惑、一休さん、君は明日を掴めるか、ボルテスV、西遊記、燃えろアタック、シルクロード、わくわく動物ランド、おしん、風雲たけし城、東京ラブストーリー、アジアバグース!、TVチャンピオン、パワーレンジャー、料理の鉄人、ポケモン、二千年の恋、Hero、半沢直樹、その他多数
はじめに
第1章 草創期――1960年代
アメリカ製テレビ映画の衝撃
テレビの急成長と映画
安くて魅力的な埋め草
冷戦下でのソフトパワー
初めて海外で放送されたテレビ番組
国産テレビ映画の登場
動物番組やルポ番組も海外へ
戦争犯罪ドラマへの関心
40カ国に紹介されたドラマ
『私は貝になりたい』、アメリカで放送までの8年
高評価を得たヒューマンドキュメンタリー
『老人と鷹』の偉業
カンヌ映画祭グランプリが遺したもの
受容しやすかったドキュメンタリー
異文化理解のための番組交換
放送番組による国際交流
NHKが重要視した理由
テレビ外交への使命感
世界で最も日本の番組を渇望した人々
ハワイに生まれた日本語テレビ
日本テレビ系列加入を望んだ放送局
カラー番組放送をめぐる思惑
アトムが切り拓いたアニメ輸出の道
海外番販は貴重な収入源
『鉄腕アトム』の成功と課題
アメリカを襲った第一次アニメブーム
エキゾティシズムは魅せる
オーストラリアっ子に愛されたサムライ
エミー賞入賞を成し遂げた市川崑作品
海外市場に向けられた期待
TBSが掲げた世界市場開拓
放送局での国際業務の胎動
海外へ番組を出す意味
第2章 停滞期――1970年代
番組国際流通の不均衡
文化帝国主義と日本の孤立
アメリカでの放送を夢見て
アメリカ市場に入り込めない理由
ようやく手が届いたエミー賞
国際コンクール出品は続く
ドキュメンタリー減少の中での快挙
海外初の日本語テレビ局
難産の末のKIKU‐TV開局
NETと東映からの支援
KIKU‐TVが直面した問題
アジア市場進出の本格化
香港を席巻した日劇
日本の番組追放の動き
マルコス政権に潰されたロボットアニメ
イギリスBBCで連続ドラマ放送の快挙
東洋の力を結集した大型ドラマ
『西遊記』に寄せられた期待
積極的に輸出されたテレビ映画
テレビ映画のビジネスモデル
テレビドラマとの権利処理の違い
ヨーロッパへのアニメ集中輸出
アニメーション創始国の驚き
開局ラッシュとアニメ需要
輸出アニメに備わった無国籍性
第3章 転換期――1980年代
1980年の番組輸出状況
アニメと日本語テレビへの依存
海外番販、10億円突破
日本の番組のショーウィンドウ
全米に流れた5本のNHK番組
一夜限りの『ジャパン・トゥナイト』
日本番組ブームには結びつかず
国際共同制作の大型化
『シルクロード』が実現するまで
相次いだ中国との共作
3年と20億円がかけられた大型番組
中国を魅了した一休さんと山口百恵
日本の物質的豊かさへの憧憬
中国に入り始めたアニメとドラマ
社会現象になった百恵人気
変容する日本語テレビ放送
KIKU‐TVの消滅
民放各局のハワイ進出
国内放送の延長という位置づけ
世界の視聴者が陥った「おしんドローム」
おしんブームの端緒
世界でおしんが愛された理由
発展途上国への無償提供
日本の番組を排除した韓国と台湾
植民地時代の残滓
徹底した日本色の消去
日本の大衆文化への愛憎
放送禁止と海賊ビデオの流通
第4章 成長期――1990年代
戦略的国際ビジネスの始まり
番組流通市場の活性化
ソフト商社誕生
テレビ放送は国境を越えて
NHK衛星放送への周辺国の反応
衛星放送が変えた日本語テレビ
テレビ国際放送の幕開け
アジアに広まった日本偶像劇
汎アジア衛星放送の出現
スターTVが火をつけた日本偶像劇人気
アジア市場への視線
台湾を覆った熱狂
日本の番組の解禁
ドラマ買い付け競争激化
台湾の若者にとっての文化的近似性
未曾有の日本の番組ブーム
笑いと驚きの番組フォーマットを売る
フォーマット販売とは何か
TBSが進めたフォーマット開発
盗作に対する予防線
越境する番組コンセプトを求めて
アジア発スター発掘番組
ドラマが押し上げた日本への関心
アジアをつなぐ日本のドラマ
日本語学習や訪日旅行の動機づけ
アジアでの覇権を目指して
アジア向け日本番組専門衛星放送
短命に終わったJET
フジテレビのブランド力
海賊版VCDの蔓延
パワーレンジャーとポケモンの脱日本
スーパー戦隊をアメリカに運んだ男
徹底したローカライズ戦略
ゲームソフト販売のための橋頭堡
ポケモンがグローバルコンテンツになるまで
第5章 混迷期――2000年代
海外番販の「失われた10年」
突然の低迷
国際競争力の低下
韓国ドラマというチャレンジャー
日本式海外番販の行き詰まり
日韓の非対称な流れ
ドラマ供給国の多元化
見失われがちな海外展開の意義
日本の番組購入をためらう理由
権利処理の高いハードル
適正な販売価格とは
ガラパゴス化する番組
第6章 現在――2010年代
違法動画の浸透とネット配信権
不正流通の新しい形
ネット配信というビジネスチャンス
国策としての放送コンテンツ海外展開
国による支援の始まり
安倍首相が唱えた海外展開の意義
海外展開への過剰な期待
コンテンツで訪日外国人観光客は増えるのか
プロダクト・プレイスメントの難しさ
市場創出への公的支援は続く
JETのゾンビ
WAKUWAKU JAPANへの肩入れ
海外売上3倍という目標
おわりに
あとがき
参考文献
索引
大場吾郎[オオバゴロウ]
大場吾郎(おおば・ごろう)現在、佛教大学社会学部教授(映像メディア産業論、コンテンツビジネス論)。慶應義塾大学文学部(社会学専攻)卒業後、日本テレビ放送網株式会社入社。2001年退社後、ミシガン州立大学で修士課程、フロリダ大学で博士課程を修了。京都学園大学人間文化学部専任講師、佛教大学社会学部准教授を経て現職。ニューヨーク大学スターン経営大学院客員研究員(2013?14年)、放送サービス高度化推進協会番組審議会委員などを務める。著書に、『グローバル・テレビネットワークとアジア市場』(文眞堂、2008年)、『アメリカ巨大メディアの戦略』(ミネルヴァ書房、2009年)、『韓国で日本のテレビ番組はどう見られているのか』(人文書院、2012年)、『図説日本のメディア』(共著、NHK出版、2012年)、『コンテンツビジネスの戦略論』(共著、中央経済社、2017年)などがある。