SF-79中国書法全集-王鐸 P250 河北教育出版社
王 鐸(おう たく、1592年 - 1652年)は、明末清初の書家。字は覚斯かくし、また覚之、嵩樵すいしょう・十樵・石樵・癡庵・煙潭漁叟などと号し、官は礼部尚書[1]に至った。河南府孟津県の人。
書を学び始めたのは10歳前後で、13歳から『集王聖教序』に取り組んだ。その後、米〓も習ったが学書の中心は二王(王羲之・王献之)で、なかでも『淳化閣帖』の臨模を徹底し、その研鑽は生涯続いた。そして、王献之の一筆書の書風をさらに徹底させ、数十字にわたる連綿草を長条幅に書き、独自の書風を生んだ。また、鍾〓風の小楷や顔真卿風の楷書も評価が高い
書を学び始めたのは10歳前後で、13歳から『集王聖教序』に取り組んだ。その後、米〓も習ったが学書の中心は二王(王羲之・王献之)で、なかでも『淳化閣帖』の臨模を徹底し、その研鑽は生涯続いた。そして、王献之の一筆書の書風をさらに徹底させ、数十字にわたる連綿草を長条幅に書き、独自の書風を生んだ。また、鍾〓風の小楷や顔真卿風の楷書も評価が高い