デニス・カマカヒ / オハナ〜素晴しきファミリー・デュエット〜:ハワイアン・スラック・キー・マスターズ・シリーズ22
01. ウリリ・エ
ハワイアンのスタンダードであるこの曲は、穏やかな砂浜を走り回るウリリ・バード(ハワイでよく見かける鳥)につい て歌っている。息子のデイヴィッドとのアンサンブルに心踊るポップな曲。
02. アロハ・コオラウ
デニスのオリジナル曲であるこの曲は、モロカイ島の風上側にある美しい谷間の事を歌っている。
03. ノ・ケ・アハ
この曲は陽気な恋歌で、デニスはサニー・チリングワーズのアルバム「ワイメア・カウボーイ」で初めて聴きいた。
04. ヘ・アイ・ノ・カラニ
リリウオカラニ女王作のこの曲は、集会で好まれる様々な食物について歌っている。
05. エ・ププカニオエ
エディ・カマエ(ザ・サンズ・オブ・ハワイのバンドリーダーでもあり、ウクレレ奏者)が“Listen to the forest(森に聴いてごらん)”という映画を作っている時に書かれたデニスのオリジナル曲。
06. カ・オパエ
デニスのオリジナル曲であるこの曲は、デニスと年少の従兄弟たちがモロカイ島の小川に沿って歩いていた時に見た 風景が歌い込まれている。
07. アラウンド・ザ・ワールド
デイヴィッドのウクレレをフィーチャーしたこの曲は、映画「八十日間世界一周」の主題歌。
08. モアナルア
リリウオカラニ女王によって書かれたこの曲は、モアナルアに至るまでの旅の歌。
09. ヘエイア
ハワイアンのスタンダード曲であるこの曲のタイトルは、有名なハワイのサーフ・ポイントの名前から来ている。
10. オハナ・スラック・キー
デニスはこの曲をレコーディングスタジオ内で即興で作った。
11. プア・ホネ
デニスのオリジナル曲として最も良く知られている曲は、妻であるロビンがガールフレンドだった時に、彼女に対する プロポーズ曲として書かれている。
12. カ・ハヌ・オ・カ・ハナケオキ
リリウオカラニ女王によって書かれたこの曲は“働くジョージ”という名前を持つカヌーの事を、愛する人の象徴として 歌われている。
13. イケ・ラ・ラダナ(女王の祝祭)(ヴォーカル)
リリウオカラニ女王によって書かれたこの曲は、彼女がイギリス旅行をした際にバッキンガム宮殿などを訪れたロン ドンでの思い出として書かれた。
14. イケ・ラ・ラダナ(女王の祝祭)(インストゥルメンタル)
13曲目のインストルメンタル・ヴァージョンであるこの曲は、とても美しいアレンジが印象的な仕上がりです。アル バムのエンディングを飾るに相応しい曲。
オナハ=家族の繋がりを大事にするハワイ。ハワイアン・スラック・キー・ギターもオハナに深く根ざしている。主要なスラック・キー・ギタリストのほとんどは、最初の演奏の機会を両親や祖父母、叔母、叔父、従兄弟、兄弟などから授けられ、デニスも「スラック・キー・ギターはオハナの影響で自然に身についたよ」と話している。
本作は息子のデイヴィッドとのデュエットを始め、オハナから受け継いで来たハワイアンの古典作品や、リリウオカラニ女王の作品、そして10曲目のオハナをテーマにしたオリジナル曲など、ハワイの心を伝える素晴らしい楽曲で構成。
アルバムタイトルの「オナハ」には、デニスがこのアルバムに世代を超えた伝承を託したいという気持ち。
「父から子へ、またその子へ、さらにまたその子へ。個々の人間に対し、音楽に対してのアロハの精神が引き継がれて行くことが大切なんだ」(デニス)。
なお7曲目は息子デイヴィッドのウクレレも美しい、映画「八十日間世界一周」の主題歌。
デニス・カマカヒ プロフィール
1953年ホノルル生まれ。3歳の時に母の古いマーティン製のウクレレを手に取った。その後祖父のデイヴィッド・ナオオ・カマカヒと父のケネス・カマカヒからギターを教わる。
11歳から13歳のころには一日8時間スラック・キー・ギターを弾く様になる。ギターを弾く中で、ハワイを代表するギタリスト、ギャビー・パヒヌイ、サニー・チリングワース、レオナード・クワン、レイ・カーネ、アッタ・アイザクスなどから強い影響を受ける。またロックからも大きな影響を受け、高校時代に“ナ・パニオロ”というバンドを結成した。
1972年にはハワイを代表するバンド、“ザ・サンズ・オブ・ハワイ”のバンドリーダーであるエディ・カマエに出会い、1973年にメンバーとして同バンドに加わり、多くの曲を作曲し、1995年まで在籍した。
1996年に10年ぶりのレコーディング作となる本「プアエア〜そよかぜのギター、優しき歌声〜」をリリース。またこのアルバムは初めての全曲ソロのスラック・キー・ギターによるアルバムでもある。1999年には息子のデイヴィッドのウクレレを交えてのアルバム「オハナ〜素晴しきファミリー・デュエット〜」をリリースし、話題となる。
その後ジョージ・ウィンストンプロデュースによるアルバム「Hui Aloha」に参加。
2003年には自身のプロダクションを設立。
2011年には最後のアルバムとなる「Waimaka Helelei」をステファン・イングリースと共作でリリース。
2014年4月28日に亡くなる。
生前500曲以上の作曲を行い、多くの曲はハワイアンのスタンダード曲として今も演奏されている。また3回のグラミー賞を獲得しており、2012年にはハワイのミュージシャンとして初めてスミソニアン博物館にギターが収蔵された。その経歴はまさにハワイを代表するギタリスト、ボーカリスト、作曲家として正真正銘のレジェンドと言える。
ハワイアンのスタンダードであるこの曲は、穏やかな砂浜を走り回るウリリ・バード(ハワイでよく見かける鳥)につい て歌っている。息子のデイヴィッドとのアンサンブルに心踊るポップな曲。
02. アロハ・コオラウ
デニスのオリジナル曲であるこの曲は、モロカイ島の風上側にある美しい谷間の事を歌っている。
03. ノ・ケ・アハ
この曲は陽気な恋歌で、デニスはサニー・チリングワーズのアルバム「ワイメア・カウボーイ」で初めて聴きいた。
04. ヘ・アイ・ノ・カラニ
リリウオカラニ女王作のこの曲は、集会で好まれる様々な食物について歌っている。
05. エ・ププカニオエ
エディ・カマエ(ザ・サンズ・オブ・ハワイのバンドリーダーでもあり、ウクレレ奏者)が“Listen to the forest(森に聴いてごらん)”という映画を作っている時に書かれたデニスのオリジナル曲。
06. カ・オパエ
デニスのオリジナル曲であるこの曲は、デニスと年少の従兄弟たちがモロカイ島の小川に沿って歩いていた時に見た 風景が歌い込まれている。
07. アラウンド・ザ・ワールド
デイヴィッドのウクレレをフィーチャーしたこの曲は、映画「八十日間世界一周」の主題歌。
08. モアナルア
リリウオカラニ女王によって書かれたこの曲は、モアナルアに至るまでの旅の歌。
09. ヘエイア
ハワイアンのスタンダード曲であるこの曲のタイトルは、有名なハワイのサーフ・ポイントの名前から来ている。
10. オハナ・スラック・キー
デニスはこの曲をレコーディングスタジオ内で即興で作った。
11. プア・ホネ
デニスのオリジナル曲として最も良く知られている曲は、妻であるロビンがガールフレンドだった時に、彼女に対する プロポーズ曲として書かれている。
12. カ・ハヌ・オ・カ・ハナケオキ
リリウオカラニ女王によって書かれたこの曲は“働くジョージ”という名前を持つカヌーの事を、愛する人の象徴として 歌われている。
13. イケ・ラ・ラダナ(女王の祝祭)(ヴォーカル)
リリウオカラニ女王によって書かれたこの曲は、彼女がイギリス旅行をした際にバッキンガム宮殿などを訪れたロン ドンでの思い出として書かれた。
14. イケ・ラ・ラダナ(女王の祝祭)(インストゥルメンタル)
13曲目のインストルメンタル・ヴァージョンであるこの曲は、とても美しいアレンジが印象的な仕上がりです。アル バムのエンディングを飾るに相応しい曲。
オナハ=家族の繋がりを大事にするハワイ。ハワイアン・スラック・キー・ギターもオハナに深く根ざしている。主要なスラック・キー・ギタリストのほとんどは、最初の演奏の機会を両親や祖父母、叔母、叔父、従兄弟、兄弟などから授けられ、デニスも「スラック・キー・ギターはオハナの影響で自然に身についたよ」と話している。
本作は息子のデイヴィッドとのデュエットを始め、オハナから受け継いで来たハワイアンの古典作品や、リリウオカラニ女王の作品、そして10曲目のオハナをテーマにしたオリジナル曲など、ハワイの心を伝える素晴らしい楽曲で構成。
アルバムタイトルの「オナハ」には、デニスがこのアルバムに世代を超えた伝承を託したいという気持ち。
「父から子へ、またその子へ、さらにまたその子へ。個々の人間に対し、音楽に対してのアロハの精神が引き継がれて行くことが大切なんだ」(デニス)。
なお7曲目は息子デイヴィッドのウクレレも美しい、映画「八十日間世界一周」の主題歌。
デニス・カマカヒ プロフィール
1953年ホノルル生まれ。3歳の時に母の古いマーティン製のウクレレを手に取った。その後祖父のデイヴィッド・ナオオ・カマカヒと父のケネス・カマカヒからギターを教わる。
11歳から13歳のころには一日8時間スラック・キー・ギターを弾く様になる。ギターを弾く中で、ハワイを代表するギタリスト、ギャビー・パヒヌイ、サニー・チリングワース、レオナード・クワン、レイ・カーネ、アッタ・アイザクスなどから強い影響を受ける。またロックからも大きな影響を受け、高校時代に“ナ・パニオロ”というバンドを結成した。
1972年にはハワイを代表するバンド、“ザ・サンズ・オブ・ハワイ”のバンドリーダーであるエディ・カマエに出会い、1973年にメンバーとして同バンドに加わり、多くの曲を作曲し、1995年まで在籍した。
1996年に10年ぶりのレコーディング作となる本「プアエア〜そよかぜのギター、優しき歌声〜」をリリース。またこのアルバムは初めての全曲ソロのスラック・キー・ギターによるアルバムでもある。1999年には息子のデイヴィッドのウクレレを交えてのアルバム「オハナ〜素晴しきファミリー・デュエット〜」をリリースし、話題となる。
その後ジョージ・ウィンストンプロデュースによるアルバム「Hui Aloha」に参加。
2003年には自身のプロダクションを設立。
2011年には最後のアルバムとなる「Waimaka Helelei」をステファン・イングリースと共作でリリース。
2014年4月28日に亡くなる。
生前500曲以上の作曲を行い、多くの曲はハワイアンのスタンダード曲として今も演奏されている。また3回のグラミー賞を獲得しており、2012年にはハワイのミュージシャンとして初めてスミソニアン博物館にギターが収蔵された。その経歴はまさにハワイを代表するギタリスト、ボーカリスト、作曲家として正真正銘のレジェンドと言える。