デニス・カマカヒ / プアエナ〜そよかぜのギター、優しき歌声〜:ハワイアン・スラック・キー・マスターズ・シリーズ21
01. アヘ・ラウ・マカニ
リリウオカラニ女王によって1868年に作曲されたこの曲は“緑を通して吹いて来るそよ風”の意味となり、恋人に 対する想いを詩的に表現した曲。
02. スウィート・バイ・アンド・バイ
デニスのオリジナル曲であるこの曲は、恋い焦がれる人への求愛の想いが歌い込まれている。
03. カペラ
この曲もオリジナル曲で、友人の母親のために書いた曲。
04. ヒロ・ラグ
1994年にハワイのヒロで行われたスラック・キー・ギター・フェスティバルで作曲された曲。
05. カウアイ・オ・マノ
カウアイ島の最高峰の山ワイアレアレのために書かれた曲。「私の大好きな山なんだ」(デニス)。
06. アパパネ
リリウオカラニ女王が1874年に作ったメレ・ホオイポイポ(恋歌)。ちなみに「女王はかなりの腕前のスラック・ キー・ギタリストだった」とデニスが語っている。
07. コケエ
デニスの代表曲であるこの曲は、ハワイ島にあるデニスが生前好んで訪れた土地コケエに曲想を得た曲。
08. イポ・レイ・マヌ
1891年にカピオラニ女王が夫のデイヴィッド・カラカウア王のために思慕の想いを込めて書いた曲。
09. ニニポ・ホオニポ
ハワイ島を題材にしたこの曲は、リリウオカラニ女王がハワイ島のプナに旅した1876年の作品。
10. アフリリ
マウイ島を舞台にしたパニオロ(カウボーイ)ソング。「もしもミュージシャン以外で他の仕事につくならパニオ ロになりたい」(デニス)。
11. ワイキキ・フラ
カメハメハ・スクールに登校する女の子を待つ男の子の事を描いた作品。
12. ワヒネ・イリケア
この曲のタイトル「ワヒネ・イリケア」はモロカイ島の山、カマコウに漂う白い霧の事を描いている。
13. ナ・クパ・オ・ワイアナエ
オアフ島のワイアナエ海岸に捧げられた曲。「現代の若者たちに、クグナ(年長者)を尊敬し実直さや正義などを 大切にして生きようと訴えかけている歌詞です」(デニス)。
14. プロミシズ(約束)
デニスのオリジナル曲であるこの曲は、1978年の最初の結婚記念日に妻のロビンのために書かれいる。
15. レイ・クプクプ
オリジナル曲のこの曲は、愛を誓い合い、レイ・ハク(複数の種類の花を混ぜたレイ)を作ることを喜びとする人々の ために書かれた。
本作はデニス・カマカヒのアルバムとして初の日本盤としてのリリースであり、彼のボーカルとギターの魅力が存分に堪能出来る作品。全曲デニスの歌とギターのみで構成されており、オリジナル曲9曲、リリウオカラニ女王の作品が3曲、ハワイアンの古典作品3曲という構成。収録のオリジナル曲について「私の曲の大半はハワイへの愛や美しさ、そして私にとって特別な人々についてのものなんだ」という。
デニスは惜しくも2014年に他界。残された作品は今なお輝き続けており、ハワイ音楽の名盤として長く聴き続けられている。
なおプアエナとは「明るく輝け」の意味。また、ジャケットの“REVEREND”はデニスが牧師であった事をしめす。
デニス・カマカヒ プロフィール
1953年ホノルル生まれ。3歳の時に母の古いマーティン製のウクレレを手に取った。その後祖父のデイヴィッド・ナオオ・カマカヒと父のケネス・カマカヒからギターを教わる。
11歳から13歳のころには一日8時間スラック・キー・ギターを弾く様になる。ギターを弾く中で、ハワイを代表するギタリスト、ギャビー・パヒヌイ、サニー・チリングワース、レオナード・クワン、レイ・カーネ、アッタ・アイザクスなどから強い影響を受ける。またロックからも大きな影響を受け、高校時代に“ナ・パニオロ”というバンドを結成した。
1972年にはハワイを代表するバンド、“ザ・サンズ・オブ・ハワイ”のバンドリーダーであるエディ・カマエに出会い、1973年にメンバーとして同バンドに加わり、多くの曲を作曲し、1995年まで在籍した。
1996年に10年ぶりのレコーディング作となる本「プアエア〜そよかぜのギター、優しき歌声〜」をリリース。またこのアルバムは初めての全曲ソロのスラック・キー・ギターによるアルバムでもある。1999年には息子のデイヴィッドのウクレレを交えてのアルバム「オハナ〜素晴しきファミリー・デュエット〜」をリリースし、話題となる。
その後ジョージ・ウィンストンプロデュースによるアルバム「Hui Aloha」に参加。
2003年には自身のプロダクションを設立。
2011年には最後のアルバムとなる「Waimaka Helelei」をステファン・イングリースと共作でリリース。
2014年4月28日に亡くなる。
生前500曲以上の作曲を行い、多くの曲はハワイアンのスタンダード曲として今も演奏されている。また3回のグラミー賞を獲得しており、2012年にはハワイのミュージシャンとして初めてスミソニアン博物館にギターが収蔵された。その経歴はまさにハワイを代表するギタリスト、ボーカリスト、作曲家として正真正銘のレジェンドと言える。
リリウオカラニ女王によって1868年に作曲されたこの曲は“緑を通して吹いて来るそよ風”の意味となり、恋人に 対する想いを詩的に表現した曲。
02. スウィート・バイ・アンド・バイ
デニスのオリジナル曲であるこの曲は、恋い焦がれる人への求愛の想いが歌い込まれている。
03. カペラ
この曲もオリジナル曲で、友人の母親のために書いた曲。
04. ヒロ・ラグ
1994年にハワイのヒロで行われたスラック・キー・ギター・フェスティバルで作曲された曲。
05. カウアイ・オ・マノ
カウアイ島の最高峰の山ワイアレアレのために書かれた曲。「私の大好きな山なんだ」(デニス)。
06. アパパネ
リリウオカラニ女王が1874年に作ったメレ・ホオイポイポ(恋歌)。ちなみに「女王はかなりの腕前のスラック・ キー・ギタリストだった」とデニスが語っている。
07. コケエ
デニスの代表曲であるこの曲は、ハワイ島にあるデニスが生前好んで訪れた土地コケエに曲想を得た曲。
08. イポ・レイ・マヌ
1891年にカピオラニ女王が夫のデイヴィッド・カラカウア王のために思慕の想いを込めて書いた曲。
09. ニニポ・ホオニポ
ハワイ島を題材にしたこの曲は、リリウオカラニ女王がハワイ島のプナに旅した1876年の作品。
10. アフリリ
マウイ島を舞台にしたパニオロ(カウボーイ)ソング。「もしもミュージシャン以外で他の仕事につくならパニオ ロになりたい」(デニス)。
11. ワイキキ・フラ
カメハメハ・スクールに登校する女の子を待つ男の子の事を描いた作品。
12. ワヒネ・イリケア
この曲のタイトル「ワヒネ・イリケア」はモロカイ島の山、カマコウに漂う白い霧の事を描いている。
13. ナ・クパ・オ・ワイアナエ
オアフ島のワイアナエ海岸に捧げられた曲。「現代の若者たちに、クグナ(年長者)を尊敬し実直さや正義などを 大切にして生きようと訴えかけている歌詞です」(デニス)。
14. プロミシズ(約束)
デニスのオリジナル曲であるこの曲は、1978年の最初の結婚記念日に妻のロビンのために書かれいる。
15. レイ・クプクプ
オリジナル曲のこの曲は、愛を誓い合い、レイ・ハク(複数の種類の花を混ぜたレイ)を作ることを喜びとする人々の ために書かれた。
本作はデニス・カマカヒのアルバムとして初の日本盤としてのリリースであり、彼のボーカルとギターの魅力が存分に堪能出来る作品。全曲デニスの歌とギターのみで構成されており、オリジナル曲9曲、リリウオカラニ女王の作品が3曲、ハワイアンの古典作品3曲という構成。収録のオリジナル曲について「私の曲の大半はハワイへの愛や美しさ、そして私にとって特別な人々についてのものなんだ」という。
デニスは惜しくも2014年に他界。残された作品は今なお輝き続けており、ハワイ音楽の名盤として長く聴き続けられている。
なおプアエナとは「明るく輝け」の意味。また、ジャケットの“REVEREND”はデニスが牧師であった事をしめす。
デニス・カマカヒ プロフィール
1953年ホノルル生まれ。3歳の時に母の古いマーティン製のウクレレを手に取った。その後祖父のデイヴィッド・ナオオ・カマカヒと父のケネス・カマカヒからギターを教わる。
11歳から13歳のころには一日8時間スラック・キー・ギターを弾く様になる。ギターを弾く中で、ハワイを代表するギタリスト、ギャビー・パヒヌイ、サニー・チリングワース、レオナード・クワン、レイ・カーネ、アッタ・アイザクスなどから強い影響を受ける。またロックからも大きな影響を受け、高校時代に“ナ・パニオロ”というバンドを結成した。
1972年にはハワイを代表するバンド、“ザ・サンズ・オブ・ハワイ”のバンドリーダーであるエディ・カマエに出会い、1973年にメンバーとして同バンドに加わり、多くの曲を作曲し、1995年まで在籍した。
1996年に10年ぶりのレコーディング作となる本「プアエア〜そよかぜのギター、優しき歌声〜」をリリース。またこのアルバムは初めての全曲ソロのスラック・キー・ギターによるアルバムでもある。1999年には息子のデイヴィッドのウクレレを交えてのアルバム「オハナ〜素晴しきファミリー・デュエット〜」をリリースし、話題となる。
その後ジョージ・ウィンストンプロデュースによるアルバム「Hui Aloha」に参加。
2003年には自身のプロダクションを設立。
2011年には最後のアルバムとなる「Waimaka Helelei」をステファン・イングリースと共作でリリース。
2014年4月28日に亡くなる。
生前500曲以上の作曲を行い、多くの曲はハワイアンのスタンダード曲として今も演奏されている。また3回のグラミー賞を獲得しており、2012年にはハワイのミュージシャンとして初めてスミソニアン博物館にギターが収蔵された。その経歴はまさにハワイを代表するギタリスト、ボーカリスト、作曲家として正真正銘のレジェンドと言える。