湯川博士、原爆投下を知っていたのですか:?最後の弟子?森一久の被爆と原子力人生
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高さ : 1.50 cm
横幅 : 13.00 cm
奥行 : 19.00 cm
重量 : 240.0 g ※梱包時のサイズとなります。商品自体のサイズではございませんのでご注意ください。
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毎日新聞の大反響連載「原子の森、深く」が、大幅加筆で書籍化 「開高健ノンフィクション賞」受賞作家が入念な取材と極上の筆致で描き出す≪宿命≫の物語 “原子力村のドン”と呼ばれるようになった森は、晩年になって、ひとつの謎に苛まれていた。 父母係累を一瞬にして喪い、自身も爆心地で被爆した昭和20年夏の広島。 あの日、あの場所に“特殊爆弾”が落とされることを、恩師の湯川秀樹は知っていたと聞かされたのだ。 「なぜ言ってくれなかったのか」。事の真偽を確かめるため、森はひとり調べ始めた――。 広島の爆心地で被爆して死線をさまよった青年が、いかにして“原子力村のドン”と呼ばれるようになったのか。 戦後日本にとって、原子力とは何だったのか。 ひとつの爆弾が変えた人生を通じて国家と歴史の本質に迫る、ノンフィクションの傑作。 第1章 湯川博士の謎と〝最後の弟子〟 2007年、湯川秀樹博士の生誕100年にあわせて記事を書くことになった私は、 〝最後の弟子〟と呼ばれる森一久さんと出会う。 81歳の森さんは、大きな疑問に苛まれていた。 答えを知る恩師はもういない。 半世紀を越えた謎を追う、ふたりの調査が始まった。 第2章 ジャーナリストからインサイダーへ 1944年、京大理学部に進学した森さんは湯川博士の下で研究を進める。 ところが、翌年8月、両親を疎開させようと戻った故郷・広島の爆心地で被爆。 父母ら身内5人を喪い、自身も死線をさまよう。 恩師の助言に従い、ジャーナリストとして揺籃期の原子力を監視するようになった彼は、 次第に原子力村の中枢へと導かれていく。 第3章 そして、「村」を出る 原子力という〝毒〟を飲む以上は、借り物でなく、自前の研究を積み重ねるべきだ――。 しかし、現実は反対方向へ進み、自分に「原子力の監視役」を託した恩師はこの世を去る。 東海村のJCO事故で感じた絶望。 変質する原子力村。 そして体制内部の監視者を自任した男が決断を迫られるときがきた。