図録 狩野洞学 津山藩狩野派絵師 略系図 七福神 十六羅漢 美作国 如水 富信
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卖家信息
玄武
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内容:津山狩野派の祖とされる津山藩初代御用絵師・狩野洞学の、お抱え絵師としての位置づけと画業を郷土に残された作品で検証。
トップ画像:狩野洞学「唐絵写巻」
美作津山藩松平家においても御用絵師は狩野派の門流だった。津山狩野家の祖とされる狩野洞学(不明-1743)は、延宝5年、津山藩松平宣富に江戸で召し出され、津山に転居、翌年には城絵図の作成などを命じられている。しかし、養子をめぐる問題もあり、津山藩から暇を出され、洞学家は断絶となった。その後津山藩では、かつて洞学の養子だった狩野如林乗信(1711?-1781)を祖とした如林系と、絵師として召し抱えられた後に狩野姓を許された如水系の二つの狩野家が存続した。そのほか備中松山藩の絵師も狩野を名乗り、幕末の絵師には狩野素朴(不明-1911)がいる。
狩野洞学(不明-1743)
洞学に関しては、生前に津山藩から暇を出されたため、他の藩士のような勤書が残されておらず、津山周辺に残された作品も少ないため、活動や履歴が明らかでない部分が多い。洞学の祖父・狩野照政と父親の洞晴幸信はともに越後時代の松平光長に仕えていたが、光長が延宝9年にいわゆる越後騒動によって流罪になったため、父・洞晴の代で浪人となった。その後、洞晴は長府藩毛利綱元に仕えることとなり、洞学も家督を相続して毛利綱元に仕えることができたが、「所存」があるとして毛利家には仕えなかった。そして、享保5年、津山藩松平宣富に召し出され、津山藩御用絵師となった。しかし、養子・兵四郎に関する離縁願いのトラブルから、家は断絶となった。
『古画備考』によると、洞学には富信と察信という息子が二人いた。富信は、甚七郎といい、のちに狩野如林と改めた。察信は、享保17年に狩野免許を得て、のちに長府毛利家に仕えた。この富信の後の系譜に狩野文庫や狩野如泉がつながっているとしている。寛保3年死去した。
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トップ画像:狩野洞学「唐絵写巻」
美作津山藩松平家においても御用絵師は狩野派の門流だった。津山狩野家の祖とされる狩野洞学(不明-1743)は、延宝5年、津山藩松平宣富に江戸で召し出され、津山に転居、翌年には城絵図の作成などを命じられている。しかし、養子をめぐる問題もあり、津山藩から暇を出され、洞学家は断絶となった。その後津山藩では、かつて洞学の養子だった狩野如林乗信(1711?-1781)を祖とした如林系と、絵師として召し抱えられた後に狩野姓を許された如水系の二つの狩野家が存続した。そのほか備中松山藩の絵師も狩野を名乗り、幕末の絵師には狩野素朴(不明-1911)がいる。
狩野洞学(不明-1743)
洞学に関しては、生前に津山藩から暇を出されたため、他の藩士のような勤書が残されておらず、津山周辺に残された作品も少ないため、活動や履歴が明らかでない部分が多い。洞学の祖父・狩野照政と父親の洞晴幸信はともに越後時代の松平光長に仕えていたが、光長が延宝9年にいわゆる越後騒動によって流罪になったため、父・洞晴の代で浪人となった。その後、洞晴は長府藩毛利綱元に仕えることとなり、洞学も家督を相続して毛利綱元に仕えることができたが、「所存」があるとして毛利家には仕えなかった。そして、享保5年、津山藩松平宣富に召し出され、津山藩御用絵師となった。しかし、養子・兵四郎に関する離縁願いのトラブルから、家は断絶となった。
『古画備考』によると、洞学には富信と察信という息子が二人いた。富信は、甚七郎といい、のちに狩野如林と改めた。察信は、享保17年に狩野免許を得て、のちに長府毛利家に仕えた。この富信の後の系譜に狩野文庫や狩野如泉がつながっているとしている。寛保3年死去した。
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